創業110年の安心

創業110年の信頼と実績。地元八王子と共に溝口祭典は、発展してきました。

株式会社溝口祭典 代表取締役 溝口勝己

100年を超えて会社が存続していることは、とりもなおさずご近隣をはじめ多くの皆様のお陰と心から感謝申し上げます。
小さな会社ですが、大きな「使命」を認識しております。
ご縁をいただいたお仕事を一生懸命、誠実に行い、お葬式を通じて「人は亡くなっても終わりでない」ということを自覚することにより、どんなに悲しくても、死を人生の敗北と捉えない、こころ豊かで成熟した社会の実現を目指したいと考えております。
単なる老舗だけでない、その存在理由を常に念頭に置いて今後も精進してまいります。
皆様にはこれからも弊社に対しましてご指導くださいますようお願い申し上げます。

明治時代

溝口祭典の歴史 八王子の歴史

大正時代

溝口祭典の歴史 八王子の歴史
1917
(大正6)
9月1日に市制を施行、八王子市と
なる(市庁舎は八幡町)
1919
(大正8)
八王子織物の景気は最盛期を迎える
1926
(大正15)
玉南電気鉄道(現在の京王線)の
東八王子~新宿間が直通で結ばれる

昭和時代

溝口祭典の歴史 八王子の歴史
1927
(昭和2)
高尾登山鉄道株式会社がケーブルカーの営業運転を開始
1928
(昭和3)
上水道の給水を開始(元本郷浄水場で取水、散田配水池から浅川以南の旧市内に給水)
1929
(昭和4)
武蔵中央電気軌道(市電)の浅川駅前
(今の高尾駅)~追分町間が開通。
その後、延長し、全長8.4キロメートルを運行
1930
(昭和5)
市庁舎が天神町の第四尋常小旧庁舎へ移転
1934
(昭和9)
八高線が全線開通
1936
(昭和11)
市制施行20周年記念で、市歌を制定
(作詞・北原白秋、作曲・山田耕筰)
1941
(昭和16)
小宮町と合併(10月1日)
1945
(昭和20)
8月2日未明、八王子大空襲。
14,000戸以上が焼失し、450人以上が死亡
1946
(昭和21)
戦災都市復興計画スタート
1951
(昭和26)
市役所新庁舎が本町に完成。本市出身の物理学者・西川正治氏が名誉市民に。「八王子市広報」を創刊
1955
(昭和30)
横山村、元八王子村、恩方村、川口村、加住村、由井村の6か村と合併
(4月1日)
1959
(昭和34)
浅川町と合併(4月1日)。
首都圏整備法による衛星都市(市街地開発区域)の指定を受ける
1961
(昭和36)
第1回市民祭(3万人の夕涼み)を
富士森陸上競技場で開催
1963
(昭和38)
工学院大学が中野町に移転、開校。
市内初の大学に
1964
(昭和39)
由木村と合併(8月1日)。
世界で初めて「親切都市宣言」をする。八王子が東京オリンピックの自転車競技会場となる
1965
(昭和40)
人口が20万人を超える(国勢調査)
1967
(昭和42)
明治百年記念で「明治の森・高尾国定公園」が指定される。
中央自動車道の八王子~調布間が開通
1971
(昭和46)
高月町切欠地区を西多摩郡秋多町
(現在のあきる野市)に、秋多町雨間の一部を八王子市へ編入
1972
(昭和47)
甲州街道で歩行者天国を実施
1973
(昭和48)
苫小牧市と姉妹都市の盟約を結ぶ
1974
(昭和49)
日光市と姉妹都市の盟約を結ぶ
人口が30万人を超える
1975
(昭和50)
作家・瀧井孝作氏が2人目の名誉市民に
1976
(昭和51)
市制施行60周年記念で市の木
「イチョウ」と市の花「ヤマユリ」を制定
1983
(昭和58)
人口が40万人を超える。
元本郷町三丁目に新庁舎が完成。
八王子駅ビルが完成
1985
(昭和60)
国道16号バイパスが開通
1988
(昭和63)
都市型CATV局「八王子テレメディア株式会社」が放送を開始

平成時代

溝口祭典の歴史 八王子の歴史
1991
(平成3)
市制施行75周年記念で市の鳥
「オオルリ」を制定
1993
(平成5)
平和の像を富士森公園に設置
1995
(平成7)
人口が50万人を超える(国勢調査)

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